同時期に妊娠出産した友達・知り合いは「ワーママ」として職場復帰。
でも。
復帰したくて仕事に戻ったのに。
毎日くたくたに疲れるし、しんどい。仕事も子育ても何もかも中途半端。
私にはワーママは無理だった。
私はフルタイムのワーママとして育休復帰し、2ヵ月で退職しました。
1歳と2歳の子どもたちを育てながら働くことは思っていた以上にしんどく、ハードでした。
この記事では、同じ悩みを抱えるワーママに私の体験談をお伝えしています。少しでも何かお役に立てれば幸いです。
なぜワーママは無理だった?2児ママ保育士の私の場合
まず前提条件として私の仕事と家族のことをお伝えします。
私:24年4月育休復帰。フルタイム保育士で3歳児副担任。遅番固定勤務。
旦那:自営業のお花屋さん。
娘:2歳児クラス。
息子:1歳児クラス。小麦粉・卵アレルギー。
私がワーママが無理だった理由は5つあります。
①子どもの体調不良でほとんど仕事ができなかった。
フルタイム保育士として育休復帰しましたが、1週目は5日間中2日しか働くことができませんでした。
詳しくは趣味で書いているnoteへ
子どもの体調に出勤状況が左右されるので、翌日出勤できるかどうかわからない。製作物などを持ち帰りで仕事をすることを提案しても、私が急に休むことがあるので許可されることはありませんでした。
育休復帰したからには頑張りたい!そんな気持ちがいつも空回っていました。
子どもたちが保育園に通い始めたばかりはたくさん風邪をもらうと覚悟していましたが、週の半分以上休まれると、ほとんど仕事ができませんでした。
②子どもとの時間が1日に2時間しかなかった。
朝の送りは私でお迎えは旦那。私は保育園の閉園まで働いていたので、子どもたちと一緒に過ごす時間は、朝起きて保育園に行くまでの1時間半、夜の寝かしつけの30分だけ。
しかも、その短い時間でさえ「早くご飯たべて~!」「保育園に遅れちゃう!」「ねんねの時間だよ!」とどたばた。ゆっくり抱っこする時間はなく、余裕のなさからきつく叱ってしまったことも1回2回じゃありません。
子どもと過ごす時間が短く、そして親も子も笑顔になれないことがつらかったです。
③周りの理解が得られなかった。
私が復職した保育園に私と同じように小さな子どもがいながら働くフルタイム保育士はいませんでした。子どもがいる保育士ママはみんなパートさん。
子どもの体調不良の時に主任や園長先生に「仕事を休ませてください」と連絡しても、
「どうにかして出勤できませんか?」と言われる日々でした。
繫忙期の旦那に頭を下げて何度か早退してもらい、夕方の4時から閉園までだけ働いた日もありました。できるだけ出勤できるように頑張りましたが、なかなか理解は得られませんでした。
④祖父母のサポートが得られなかった
私の父と母は50代半ば。当然2人ともフルタイムで仕事をしています。なので平日にサポートをお願いすることはできませんでした。
旦那の父と母は60代ですが、定年退職しておらず2人ともフルタイムで働いています。
よって、祖父母がどんなに元気でも、子育てのサポートをしてもらうことはかないませんでした。
⑤忙しすぎて自分がどんどん嫌いになった。
やりがいを感じていた保育士の仕事。念願の復職は叶いましたが、満足に勤務できず中途半端な日々でした。本当はもっとできるはずなのに、できない。
子どもたちには平日は1日2時間しか一緒に過ごせないのに、笑顔で接することができない。
余裕がなさすぎて、どんどん自分が嫌いになりました。
ワーママを辞める決意をしたきっかけ
「ワーママ辞めたい」
「私にはワーママ無理だった」
仕事をしながら毎日思うようになりましたが、
「まだ復職して間もないし…」
「年度途中退職は認められないだろうな…」
と行動できずにいました。
そんなある日。絶対にワーママ辞める!!!と決意した出来事が起こりました。
息子のアレルギーの発作
2024年4月22日。我が家の1歳の息子は小麦粉アレルギー。朝ごはんに間違えて小麦粉を摂取してしまいました。
普段は、嘔吐と全身の赤みやじんましんのみの症状。ですが、この日は摂取量が多かったのか、嘔吐複数回、全身の赤みとじんましん、明らかな呼吸音の異常が認められ、咄嗟にアナフィラキシーだと判断し緊急で病院の受診を決めました。
アナフィラキシーとは、
じんましん、赤み、かゆみ、くしゃみ、せき、ぜーぜー、ヒューヒュー、息苦しさ、目のかゆみ、むくみ、くちびるの腫れ、嘔吐、血圧低下などの症状が全身に急速にあらわれることをいいます。
普段騒がしい息子は別人と思うほど大人しくなり、呼吸が弱くゼーゼーヒューヒューと音を伴い、色白の顔が土と痣が混ざったように変色し、病院到着直前には意識を失ってしまいました。
このときはこのまま戻ってこないのではと思いました。
幸いお医者さんの迅速な対応で命を繋ぎ止めることはできました。
日常に当たり前に存在している小麦粉が息子の命を奪う可能性がある。
そんな現実を目の当たりにし、保育園で「小麦粉」が給食に使われる日は休ませたいと思うようになりました。アナフィラキシー後は敏感になっていて、パンくずに触れただけでアレルギー症状が出るようになったからです。
次アナフィラキシーが起こったら。命の危険があるかもしれない。
このまま保育士として現場で働いていたら、息子が通う保育園からの緊急連絡にすぐ対応することができない。万が一、給食でアナフィラキシーが起こったら1分1秒が勝負だと考え「辞める」という決断に至りました。
※息子が通う保育園では、アレルギーの頓服薬を預かってくれて万が一の場合は投薬してくれるそうです。そのための勉強会・研修会もしてくれたとのこと。感謝。
ワーママは無理だった!辞める前に検討したこと
とはいっても、引継ぎもありますし、すぐ仕事を辞めることはできません。
我が家は旦那さんと以下の4点を話し合って、辞める決断をより確かなものにしていきました。突発的に仕事を辞めてしまうと、きっと後悔しますし、その選択に自信が持てないと思ったからです。
①今後のライフプランの検討
まず話し合ったことは、私がワーママを辞めても生活が成り立つのかということ。一番気になることでした。
結論、我が家は専業主婦になることは無理でした。
理由は、私が仕事を辞めると、まったく貯金ができないからです。
我が家がライフプランとして話し合ったのは以下の3点。
- 教育費は2人でいくら貯める?
- 老後のお金はどう貯金する?
- ワーママをやめたらどんな生活水準になる?
我が家は上記をひとつひとつ調べ、電卓をたたき、夜な夜な旦那さんとあーでもないこーでもないと話し合いをしていました。めちゃくちゃ時間がかかりました。知識がないと本当に大変な作業です。
後から知ったのですが、無料でプロのFPさんに相談できるサービスがあるそうです。時短ですし、無料ですし、利用しない手はないです。プロに相談できるので安心ですよね。こちらにリンクを貼っておきますね。
①何回相談しても無料な「保険見直しラボ」
②FP無料相談の保険チャンネル
③みんなの生命保険アドバイザー(全国相談無料)
我が家は当時、必死すぎて誰かに頼るという選択肢が見えていませんでした。知るのがもうちょっと早かったら…と思わずにはいられません。
②家族にとって何が幸せか考える
次に話し合ったことは、我が家の幸せを明確にすること。
ばりばり働くことが幸せな家庭もあれば、子どもと過ごす時間を一番大事にしたい家庭もあります。旅行が何より幸せな家庭もあれば、おうちで映画を見ることが幸せな家庭もあります。
我が家は何が幸せか、旦那さんと話し合って考えました。
出た答えが、
我が家の幸せの定義
- 子どもとの時間を大切にできること。
- 子どもが健やかに育つ環境を用意すること。
- 笑顔の楽しい思い出をたくさん作ること。
ということです。
この話し合いをすることで、私は旦那さんの子育ての価値観を知ることができました。(想像以上に子煩悩でした。笑)家族であっても言葉で伝えないと理解できないことはあります。
相手はきっと○○と思っているはず…と普段の姿から汲み取らずに、目を見て腹を割って話し合う時間を作ってみてもよいと思います。
③働き方の検討
ライフプランで話し合った結果と我が家の幸せの定義をふまえて、私の働き方を模索し、在宅でお仕事をすることが一番合っているという結論に至りました。
代表的な在宅のお仕事は、
- Webライティング
- Webデザイン
- SNSの運用代行
- オンライン秘書・オンラインアシスタント
- 動画編集
です。
現在は私は在宅でのお仕事を形にするために、オンラインスクールに入って上記のような仕事を得るためにスキルを身につけている最中です。
今は主にWebライティングのお仕事をもらって仕事をしています。
④保育園関係
仕事を退職する前に、仕事を辞めた場合の保育園の利用状況を確認しました。
これは自治体によって左右されると思います。私の住む自治体では、退職日から3ヵ月間求職期間ということで保育園を利用することができます。
(※産前働いていた保育園では退職後1ヵ月しか求職期間がなく、その間に復職できなかった場合は保育園を退園することになっていました)
私にはワーママは無理だったので辞めました!
今回の記事では、ワーママとして育休復帰した私が2ヵ月で「ワーママ無理!!!」と思って辞めた体験談をお伝えしました。
私の場合は息子のアナフィラキシーが転機となり、辞めるに至りましたが、それぞれのご家庭で大事にされていることは違うと思います。あなたの後悔のない選択ができることを心から祈っています。
この体験談がワーママの参考になりますように。
最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました。
明日もいい1日になりますように。